ケータリングで日常を非日常に
食事で思い出に残る一日を演出したい
commis
代表 澤田 浩志
ケータリング
幼い頃から食に興味があり、食に関する職業をひたすら選び続けた澤田代表。
毎日ほぼ外食で、様々な飲食店を巡り日々研究されているそうで、その研究熱心さには驚かされました。
イケメン澤田代表が作るお料理は、非日常を感じさせてくれる素晴らしい物ばかりでお客様の多くがリピーターで、ママ会に呼ばれることも多い理由が分かりました。
(インタビュアー 木内)
家庭と法人向けのケータリングサービス
家庭や法人向けにケータリングサービスを中心に事業展開を行なっています。一部食事のデリバリーも行なっていますが、元々ケータリングをしたくて起業したので、ケータリングがメインとなります。家庭向けのケータリングは結婚記念日や誕生日、七五三などいわゆるハレの日にご利用頂くことが多く、最少2人から30人程度まで対応が可能です。最近ではママ会でご利用頂くこともあります。法人向けでは200人程度まで対応をすることもあり、ホテルでの就業経験が役に立っています。研修会後の懇親会など、社内のコミュニケーションを活発にする為にご利用頂くケースが多いですね。ケータリングの内容は、洋食がメインですが、クライアントの希望に合わせてお寿司など他のジャンルの料理も対応が可能です。
伝統野菜にこだわる
現在、市場に出回っている野菜のほとんどはF1種と呼ばれる品種の種からできています。このF1種は大量生産、安定供給を目的として改良された品種です。Commisでは伝統野菜を使うことにこだわっています。伝統野菜は固定種、在来種と呼ばれる品種の種からできる野菜で、その土地の風土に根付いており、個性があるのです。しかし、サイズが不揃いで生産性が低いので、市場に出回ることはほとんどありません。伝統野菜は野菜本来の味で、味もとても濃いので、例えば野菜嫌いな子供が食べて、野菜が好きになったなどの例もあります。市場に出回らない分、コストは高いですが、伝統野菜を通じて健康を考えることで食育に繋がると考え、積極的に伝統野菜を使っています。
またケータリングの最大の特徴はホストが何もしなくて良いことです。その為、ホストは会の内容に集中することができますし、会場の準備などその他の出費をカットすることができます。家庭向けでは、リラックスした状態で最高の料理を味わってもらうことができるので、とても喜ばれています。
日常を非日常に
ケータリングは、結婚記念日や誕生日などハレの日にご利用頂くことが多いサービスです。見た目、トーク、料理の全てを大切にして、ハレの日を素敵に演出することを意識しています。「日常を非日常に」をテーマにしており、毎回気を張りながら動作一つ一つを綺麗な所作にする様に心がけています。あとは毎回違う料理を味わってもらいたいので、同じお客様に対して、同じメニューを出さないということは徹底しています。また中国のことわざである「着眼大局着手小局」という考え方を大切にしています。目指している部分は大きく見る一方で、手掛けることは目の前のことからという内容です。
日常が思い出になるようなお手伝いをしたい
まずは「メモリアルシェフ」というサービスを立ち上げたいと考えています。現在、クライアントと出張料理人をマッチングするサービスは存在しますが、あくまで両者を結びつけるだけです。メモリアルシェフは、シェフとカメラマンをセットにしてケータリングを行なうサービスで、シェフが料理を作るところや、会の様子をカメラマンが撮影し、会の最後に動画として上映することを想定しています。結婚記念日にパートナーに感謝の言葉を伝えたり、子供の成長過程を動画にしたりと、日常が思い出になるサービスです。あとは食育を絡めたグランピングビジネスを立ち上げたいとも考えています。千葉県香取市に古民家があり、現在改装中なのですが、周りが畑になっているので、野菜の収穫体験をした後に、それを食べて楽しむことができる施設のオープンを検討しています。また形が悪かったり、サイズが合わなかったりと、流通に乗らなくなってしまった野菜を購入して、それをドレッシングなどに加工したものをECサイトで販売するビジネスも検討中です。廃棄となって捨ててしまう野菜をできるだけ少なくできれば嬉しいですね。
PROFILE
commis代表 澤田 浩志
知人との共同経営でバーをオープンさせた後、独立し現在のcommisを設立。
2019年8月29日 公開
一貫して食に関わる仕事をして独立
子供の頃、生きている間に何回食事をするのかを数えた時があり、おおよそ9万回ということが分かりました。その当時日本には約40万店の飲食店があり、毎日3食全て外食したとしても、ほとんどのお店には行けないということを知りました。これが将来は食に関わる仕事をしたいと思ったきっかけです。社会人になり、まずは赤坂にあるインターコンチネンタル東京に就職。そこで2年間働き、自分のスキルを磨くためにフランス留学を決意しましたが、留学直前にスキミングの被害に遭い、預金を全て失ってしまいました。留学することはできませんでしたが、知人から神奈川にあるカフェバーの立て直しに参画しないかと誘われ、そのまま参画。1年間そのカフェバーで働き、年上のスタッフのマネジメントを通じて、信頼関係を作ることの大切さを学びました。その後は、霞ヶ関にあるリストランテや、丸の内のビストロなどで食に関する修行を重ねて、26歳の時に知人と共同経営でバーをオープン。28歳の時にはカフェのオープンにも参画し、昨年念願の独立をして起業しました。