世界に1足!
お客様ひとりひとりに合わせた
フルオーダーの靴づくり。
When
代表 小林 晃太
オーダーメイドシューズ・ビスポークシューズ
1足の靴との衝撃の出会いで、靴職人の道に進んだ小林代表。その靴を作ったデザイナーを調べ、長野から東京へ実際に会いに行かれた、すごい行動力の持ち主。
良い物を作る為には妥協をしない姿勢に、とても感動しました。
(インタビュアー 木内)
世界に一つしかない靴作り
靴作りをメインに、靴修理、同じ革製品であるバッグの修理も行っています。靴作りのサービスの一環として、靴磨きを行うこともあります。現在の靴作りはビスポークシューズと言われるフルオーダーの靴作り、KOKONに提供している靴作りの2つですが、今後はセミオーダーのような靴作りのサービスも立ち上げようとしています。
フルオーダーの靴はお客様個人に合わせて木型を作成するので、1足目は6カ月ほど、2足目以降は3カ月ほど納期としてかかります。お客様との会話を重ねて感覚をすり合わせることを大切にしているので、どうしても完成までに時間はかかりますが、お客様一人ひとりの足に合った、満足していただける靴を提供しています。
靴屋の名店が認める履き心地
靴のフィット感、履き心地には自信があります。私の作った靴を提供しているKOKONさんは、とにかく靴のフィッティングを重視して木型にこだわる靴屋さんなのですが、そのKOKONさんに認めてもらえる靴を提供できたことが、今のハンドメイドラインに繋がっています。なので、KOKONさんに靴を提供していることが、1番の強みです。また、どうしても反比例しがちなフィット感と見た目のスタイリッシュさとのバランスをとることも、得意としています。
私が作る靴は、平均的な納期が約6カ月。実はビスポークの靴は納期が半年以上かかることも往々にしてあります。靴1足あたりの価格が他のビスポークのものと比べて購入しやすいのも、お客様目線では大きな強みかもしれません。
履き心地のいい靴を、自信をもってお客様に提供する
靴を作る際に、本当に自分が満足できる靴か、お客様に自信をもって提供できるかを常に考えるようにしています。私の中での「いい履き心地」をお客様に提供できるように靴作りをしているので、自分に嘘をつかない靴作りを意識しています。
また、お客様からの要望ばかりを聞いていると、完成した靴はお互い満足できない仕上がりになってしまうこともあります。職人として品質を保証するために、要望は反映しつつ場合によっては断りを入れて、お互いが納得できる品質を追求するようにしています。
靴職人を、世の中から憧れられる職業にしたい
まずは3年後くらいを目標に、自分のお店を持ちたいです。今は工房をお借りしての経営ですが、パターンオーダーの靴づくりへの事業展開に力を入れ、経営面でも安定させることで、都内に自分のお店を構えたいと思っています。
そして10年後には、一緒に靴作りをするメンバーを10名ほどに増やし、世界中に自分たちの作った靴を届けたいと思っています。世界中に届くということは、日本国内には当たり前のように届いているということ。働く仲間を増やし、自分たちの靴を手にとってくれるお客様を増やしていきたいです。
将来的には、都心のオフィスビルのワンフロアに、私の靴作りに携わる職人さんを集めることが夢です。私が代表で、私の靴を作ってくれる職人さんがたくさんいる状況をつくりたいです。お金がない、大変そうといった靴職人に対するイメージを変え、誇りをもって靴職人になれるような、憧れられる職業にしたいと考えています。そのためには雇用を生み出し、ホワイトカラーの人たちに負けないくらい給与を支払えるような企業にするのが1番の目標です。世の中に、靴職人として生活していける人々が増えると嬉しいですね。
1足の靴との出会いがきっかけ
私の父が20歳で起業をしており、親戚にも経営者が何人かいる環境で育ったため、起業をして当たり前という感覚がどこかにありました。
靴職人になるということが小さい頃からの夢だったわけではなく、高校は地元の長野県にある農業高校へ進みました。その頃から美しいものを追求すること、手を動かすことが好きで、美容師や造園業の道を視野に入れて高校生活を送っていたのですが、高校2年生の時に地元の服屋さんである靴に出会い、そこで初めて「靴」というものに強く興味を持ちました。そこからはとにかく行動して、その靴を作っている方の場所を聞き、アポイントを取り実際に会いに行ったんです。私に強い衝撃を与えた靴を作った方は、浅草のアトリエで働いていました。その職人さんに色々な話を聞き、彼に憧れていた私は彼が通っていたエスペランサ靴学院への進学を決めました。学生時代は2年間、靴作りはもちろん、学校が大切にしていたファッションやアートについても力を入れて学びました。その後、就職活動では内定をもらうのですが、どうしても憧れの職人さんと一緒に働く夢が諦めきれず、弟子入りを志願しに行ったのですが願いは叶わず・・・。内定も辞退していたので、卒業後の半年間はアルバイトをして生活をしていました。
そんな状況を知った父が、岡山で開かれた日本商工会議所青年部の全国大会に連れて行ってくれ、その会場で靴職人として初めての受注をしました。これがWhenの始まりです。このブランド名は、憧れの靴職人への尊敬の意を込めて、その方から教わったアーティストのアルバムからつけました。そうして靴職人としての道が始まったのですが、靴作りの方法は分かっていても、例えば材料をどう仕入れるのかなど、本当に手探り状態で進めている状況でした。ただとにかく人とのご縁には恵まれていて、分からないながらに靴作りの経験を重ね、ここまで続けることができました。
現在は、金沢にある靴屋の名店、KOKONの方との出会いがきっかけで、KOKONの靴を作らせてもらえるようになりました。靴職人なら誰もが知る名店の靴に携わることで多くの人に注目をされるので、時間をかけて自信作を作っています。発売はまだ先ですが、KOKONの名に恥じない靴を提供するため、靴作りの腕を磨く毎日です。