人生の一大事にお役に立つ企業
AZUMAにしかできないサービスを提供
株式会社AZUMA
代表取締役 荒井 昭博
民間救急車葬祭業訪問看護
十代後半で母を亡くし、二十代で父を癌で亡くした経験をお持ちの荒井社長。
葬儀の施主を経験したからこそ、葬儀を提供する立場から葬儀を提供される側の立場も理解し、お客様の視点に立ち寄り添うサービスを提供されていました。
懐が深く、優しくユーモアたっぷりな荒井社長にお話を伺ってきました。
(インタビュアー 木内)
トータルライフサポート
私の代となり、東葬祭はAZUMAに社名変更をしました。葬儀屋という人の最期だけではなく、生きている間にもお役に立ちたいという想いから、事業を多角化した為です。もちろん一番メインの事業は葬儀屋ですが、斎場でのご遺体一時安置サービス、フラワーギフトサービス、ご遺族を亡くされた方のハートケアサービスなども行なっています。
その他にも、葬儀屋という仕事から離れて、訪問看護サービスや民間救急搬送サービスを行なっています。特に民間救急搬送サービスでは、他の事業者では難しい精神疾患者の搬送も行なっています。今後も葬儀屋の枠に捉われず、皆様のお役に立つ事業を展開していきます。
ひとりひとりの心に寄り添う
一番の強みは働くスタッフが活き活きと働いていることです。私が網膜剥離になってしまってからは特にスタッフに仕事を任せることが多くなりましたが、そうするとスタッフはさらに活き活きと働いてくれる様になりました。極力首を突っ込まずにスタッフに任せることを重視しています。
また当社のスタッフには、葬儀を行なったご遺族の方が多く働いています。我々の仕事ぶりに共感してくださり、AZUMAで働きたいと言ってくれた方々です。AZUMAの企業理念は「ひとりひとりの心に寄り添う」ですが、この企業理念に賛同してくれるスタッフがAZUMAの一番の強みです。
自分の親族だと思って仕事する
一番は「自分の親族と思って仕事をする」ことです。これは常日頃からスタッフにも伝えていることです。葬儀屋という人生の最期に携わる仕事をしている以上、中途半端な気持ちで仕事をすることは許しません。自分の親族を送る様に、全てを全力以上に行なう努力をすることを大切にしています。その為に、最低限の仕事のマニュアルは作っておりますが、各人の個性を活かして自由に責任を持ち仕事をしてもらうことを重視しています。また葬儀屋として、輪廻転生の考えを大事にしており、心の癒しに特化した葬儀を行なうことを常に意識しています。
AZUMAにしかできないことをする
一番の目標は日本で初めての移動式エンバーミングルームを作りたいと思っています。エンバーミングとはご遺体の消毒や修復を行ない、長期間保管することです。今後、東日本大震災の様な大型災害が発生した場合に必ず役に立つと思うからです。先代からAZUMAを継ぎ、私なりにAZUMAにしかできないことを考えて事業を行なってきました。今後も葬儀屋としてだけでなく、AZUMAとして何ができるかに重きを置き、仕事していきたいですね。
PROFILE
株式会社AZUMA代表取締役 荒井 昭博
27歳の時に父を亡くし、家業である葬儀社を継ぐことに。
葬祭業だけではなく民間救急車や訪問看護など幅広い事業を展開し、地域に密着したトータルライフサポート企業へと発展させている。
株式会社AZUMA 東葬祭
2019年5月15日 公開
ネガティブなイメージが一変。究極のサービス業。
私が27歳の時、先代であった父親が56歳で末期がんを患い亡くなり、跡を継ぐ形で社長となりました。大学卒業後は先代の紹介で信濃町にある葬儀屋に丁稚奉公に3年程出ており、AZUMAに戻った直後の出来事でした。この時、新規の葬儀場の開設費用などで、会社には合計で10億円以上の借金があることを知りました。社長になった途端、とてつもない借金を背負うことになりましたが、この借金があったからこそ、今まで頑張ってこられたと思います。
先代は葬儀屋界では知らない人はいない程の有名人で、10人の弟子たちを独立させたカリスマでした。元々AZUMAは先代が27歳の時に独立してできた会社で、先代が群馬県吾妻郡出身ということでアズマ葬祭という名前にしたのです。
先代は東京でトップ5に入るほどのカリスマ葬儀屋で、日本武道館で初めて葬儀を行なったのも先代でした。私は今でこそ葬儀屋として誇りを持って働いていますが、昔は葬儀屋が嫌いで仕方がありませんでした。子供の頃は、悪いことをすると棺の中に閉じ込められていましたし、正直人の不幸につけこむ仕事だと思っていたからです。しかし、そのネガティブなイメージは祖母の葬儀を経験したことにより一変します。
初めて身内という自分に近い存在の葬儀で、スタッフの丁寧な仕事ぶりを目の当たりにし、葬儀屋の仕事の素晴らしさに気付きました。そして、その後私もアルバイトとして東葬祭で働く様になりました。葬儀を通じて、色々な世界が見られることに気付き、いずれは自分も東葬祭を継ぎたいと思うようになり、先代の跡を継いで社長となったのです。今では葬儀屋は究極のサービス業だと思っています。