通常インタビュー

隠れ家レストラン“タベルナ ビッケ”
当店を発見された方は、お気軽にお入りください!!

路地裏のタベルナ ビッケ

代表 木村 亮

飲食業

路地裏のタベルナ ビッケ 代表 木村 亮

木村さんは、とてもユーモアがあり、お話しやすい気さくな方でした。
決して気取ってはいないのですが、人に対しての気遣いは素晴らしく、さりげなさの中に隠れた情熱を持っていらっしゃる気がしました。
「またおいでよ!」と仰って頂いた事が、何よりも嬉しかったです。
(インタビュアー:三上)

路地裏のタベルナ ビッケ

料理の世界に入ったきっかけは、父親の一言だった

━ 御店をオープンされたきっかけを教えて下さい。

私は、19歳の時に飲食業に入りました。
高校卒業後、トラックの運転手として勤めていたんですが、20歳前位に父親から、「お前、これからどうするんだ?トラックの運転手をずっとやっていても先が見えないから、お前の場合は、手に職をつけた方が良い。レストランの見習に入るか、美容師の学校に行くか、どちらかに決めなさい。」と言われました。
それまで全く料理をした事がなかったんですが、「じゃあ、レストランの見習にでも入って、料理でもやってみるか。」と思いました。
地元が町田なんですが、たまたま近所でオープンするレストランがありまして、何となくそこの見習いとしてやってみようかな、と思い就職しました。
そこのお店は半年位で辞めたんですが、それもシェフが、「お前は、ここにいない方が良い。お前は、フレンチじゃなくてイタリアンだ。」と言って、立派なイタリアンレストランをご紹介して頂きました。イタリアン料理の世界に入ったきっかけは、そこからですね。
そこのレストランで働いていたんですが、方向性の違いから辞める事になりまして、どうしようかな、と思っていた時に、親戚が、「これを元手に銀行からお金を借りて、あとは自分でやりなさい。」と言ってきて、資金援助をしてくれました。その時は39歳でしたので、やるなら40歳前に独立した方が良い、という事で援助してくれたみたいです。
そこから会社を興し、物件を60件~70件位探し始めました。そして、半年後位にこの場所を見つけて、一年後にオープンしました。結構とんとん拍子にいきましたね(笑)
さすがに40歳まで掛かると思っていなかったんですが、実際にやってみて思った事は、もっと早い段階でもできたんじゃないかな、と思いました(笑)

路地裏のタベルナ ビッケ

メディアにも取り上げられる看板メニュー

━ 御店のお勧めメニューを教えて下さい。また、 店名の“タベルナ ビッケ”とは、どういう意味ですか?

お勧めのメニューは、“あめ色玉ネギと白ミソのビッケタルト”です。
オープンからずっと続いている、当店の看板ですね。
新聞などにも取り上げられたりしましたよ。
あと、店名なんですが、実はあまり意味は無いんですよ(笑)
“タベルナ ビッケ”の“タベルナ”はイタリア語で“居酒屋”という意味ですが、“ビッケ”は特に意味がなく、“音”で選びました。
デザイナーの方と相談して決めたんですけど、イタリア語でグラスの事を“ビッキエーレ”と言うから、「それ、かっこいいな。」と(笑)
ただ、ビッキエーレは長いし、半分に切っちゃおうか、だからと言ってビッキは何か違うな、「じゃあ“ビッケ”でいいか!」という感覚で決めました。

路地裏のタベルナ ビッケ

“やりたくない事はやらない”

━ 仕事をする上で心掛けている事を教えて下さい。

極力楽をする事です。やりたくない事はやらない。
だけど、一人で切り盛りしているので、実はやりたい事もできていないんですけどね(笑)
やりたくない事はやらないという意味は、例えば、マナーを守らない嫌なお客様は、いくらお客様であっても入店させません。テレビの取材なども、やりたくないと感じたらやりません。
少しでもストレスが掛かるな、と感じたらやらないという事を心掛けています。

路地裏のタベルナ ビッケ

一人でも稼げるようになるノウハウの“パイオニア”になりたい

━ 最後に、今後のビジョンを教えて下さい。

数年後には、誰かにお店をやってもらい、私はオーナーとして勤めたいですね。多店舗展開は考えていません。実際、私みたいに一人でやりたい人はたくさんいると思うんですよ。どうしてやらないかというと、なかなかお店として成り立たせる事が難しくなるからです。
「一人で切り盛りしたいけど、一人でやっても稼げないしな。」とお悩みの方は、当店に来て下されば、一人でも稼げるようなノウハウを伝授しますよ。私は、そういう方々のパイオニアになりたいですね。

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